丸山夏歩インタビュー

──自己紹介からお願いします。

山:丸山夏歩(まるやまなつほ)と申します。26歳の一人っ子です。東京都出身で幼稚園入るくらいまでは兵庫県西宮市に住んでて、そこからはまた東京に住んでます。大学から演劇を始めて四年間やったんですけど、一度社会人として広告代理店で働いてまた演劇に戻ってきました。

──なぜ広告代理店だったんですか?

丸山:なにかクリエイティブな仕事がしたかったんです。実際は営業でしたがクリエイティブな仕事に関わってるし、包括的にいい経験でした。でも、演劇とどっちがやりたいかって考えた時、生意気な言い方に聞こえてしまうかもしれませんが、今の仕事にこの先のビジョンが見えないなと思って、演劇に戻ってきました。

──ダルカラに参加してみてどうですか?

丸山:もちろん、ダルカラの存在は知っていたんですけど、いつもタイミングを逃してしまって観たことはなくって……。でも、どうやら高校の先輩がダルカラの劇団員(中村梨那)らしいってことを知って、それがフックになって谷さんのオーディション募集のツイッターを見つけた時、速攻で応募しました。

どうやら面白いらしい、自分もそれに挑戦してみたいし食らいついていきたいしって気持ちで臨んだんですけど、意外と緊張しいでザワザワが止まらなかったですね。諸先輩方から吸収することが沢山あって、先輩をどう見るかといったこと一つとっても学ぶことだらけで毎日ヘトヘトになります。

──他の現場との違いって感じたりしますか?

丸山:違いですか……演劇に対する愛の深い人達が多いなって気がします。お互いを信じてるというか、それを疑っていない風に感じました。私はそういう団体にめぐり逢いたいと思っていたんで、そこに自分が入れることがすごく嬉しいです。嬉しいから自分も何かしでかしてやろうと思うし、若者(笑)として前のめりになっていかなきゃなと思います。皆さん暖かいし……しっかり意見も持ってるし、まだまだそんなに話せてはないけどそれは感じてるのでどんどん聞きたいし触れたいし、自分の思いもぶつけていきたいです。

──今回の作品は原発とか東日本大震災がテーマになっているので、2011年3月11日当時の記憶を聞かせていただけますか?

丸山:大学一年生から二年生になる時で当時早稲田のサークルに入ってたんですけど、その公演の稽古中で早稲田のどらま館にいて、めちゃくちゃ揺れました。

そして、その時の主宰が東北出身で津波以降母親と連絡が取れなくなってしまって、本番を一週間後に控えててどうするか?みたいになりまして、日本をとりまく状況もセンセーショナルだけどそれが身近な人に起こってるっていう衝撃が大きかったです。結局、電池を心配して携帯の電源を切っていただけでお母様は無事だったんですけどね。

皆で福島の様子が流れるテレビを見てて、現実感が無くて原発の存在自体今まであまり意識してなくて、自分が東京で使ってる電気はそこから来てるかもしれなかったのに、何も考えてなかったなって思ったのが印象に残ってます。

あの時の地震の揺れも怖かったんですけど、私は西宮に住んでたので阪神淡路大震災も微妙に絡んでて。私と母はたまたまおじいちゃん家にいたので父しかいなかったんですけど、西宮の家に帰った時食器棚からガラスがなくなってたりとか……一緒に遊んでた友達の家がぺしゃんこになってるみたいな……あるものがなくなるっていう断片的な記憶があって。

地震が起きた時、正直また来たか、という印象もありました。

──その時のお芝居は演ったんですか?

丸山:演ったんですよ。

何度も話しあったんですけど、主宰が演るって決めたものをどうしても演りたい、と……演るって決めて本番が始まる真ん中辺りでお母様の無事がわかったんで本当に良かったんですけどね。もちろん、社会的に演っていいのか本当に悩んだんですけど私達は演るっていう選択をしました。

──ちなみにその主宰の方は今も演劇を?

丸山:これがですね。すっぱり辞めました(笑)。いや、すっぱりではないですね。ちょくちょく演劇に関わってるんでやっぱり好きなんでしょうね。

この先はわかんないです。彼なんで(笑)

──今回の作品についての印象を聞かせていただけますか?

丸山:史実に基づいているって聞いていたので、こんなことがあったんだとか、この人達はこの時こうせざるを得なかったのかとか、各々の矜持なのかプライドなのか美学なのかわからないですけど、それが今の悲劇に繋がってる。台本を読んだ時そのことがクリアに分かった気がして正直、恐ろしいなと思いました。

今回の作品に出てくるシーンなんですけど、圧倒的悪ではないことがこんなに悪を生んでしまう危険性や脆さ。自分たちがその時は正しいと思ってやってることが、違う見方をするとこんなに変わってしまうっていうのがすごい抉られます。

私が演じる役は、相思相愛なんですけど地元も離れたくない。その当時の女性って、今の東京に住む私とは結構かけ離れたところがあって、理解できるところもあるけど圧倒的に理解できない部分というか自分にはない部分もあるんです。彼に対してすごく愛情はあるのに保守的になってしまう。私なら愛情を取るんですけど、お母さんとかおばあちゃんとか見てたら地元への思いみたいなものもなんとなく分かる。決して違う世界のことではないなっていう思いもあります。

話はちょっと違うんですけど……例えば私に就職して欲しいと両親が思ってるのを感じて……やっぱり家族が好きだからそちらを選ぶ、みたいな。だから舞台を観てもらった時、男の人でも女の人でも私の役の気持ちに賛同してくれる人はいっぱいいると思います。でも、私的には内田君の役の気持ちの方に近い気がします(笑)。

女の人の社会的地位とか役割とか自分の意志を持ち始めるっていうのは、この1961年当時からもあったのかなと思って。

私、女であることはいいんですけど……男だったら良いのにみたいに思うこともあって、それって大体社会的なことじゃないですか? それが1961年では今よりもっとあるんだなと思うと、強さのこめ方とかベクトルが今とは違うんだなって感じます。

すごい可愛いですね、私の役。すごく愛のある人で。

──今の女性の置かれてる立場ってどう感じてますか?

丸山:働けともいうし結婚しろとか子供産めとか……もちろん両立出来るんでしょうけど。結構要求が高いなと、なんとなくそれをこなしてる女性が素晴らしいみたいな風潮もある気もするし、色々とやれることが増えてしまったからこそ自分で選択することの難しさも感じちゃいますね。

──観客の皆さんに向けてメッセージをお願いします。

丸山:世の中、考えることはいっぱいあるけども今の日本だからこそ考えてみるべきコンテンツの一つだと思ってます。これからの為っていうのが一番あって、これからの為にちょっと昔を振り返ってみる機会になればいいなと思ってるし、青春の物語だし、肩肘張らず観に来て欲しい。何かを考えるきっかけになればいいなと思います。自分自身とても考えるきっかけになったのでそれを共有したいし、話したいです。なるだけ多くの人に観に来てほしいので、よろしくお願いします。