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古河耕史インタビュー

ーー故郷の思い出を教えてください。

何回か引越しをしたんですけど、どの土地にも空き地とか竹薮とか森があったのでそこを探検するのが好きでしたね。

ーーいつか故郷に帰ろうという気持ちはありますか?

そうですね……。演劇というか役者業をやってると、やっぱりなかなか実家の方でやるのは難しいと思いますね。とはいえ、経済的に厳しくなったり体壊したりしたら、帰ってちょっと違う生き方考えるかなぁみたいな可能性はあると思います。でもこれだけ情報通信が進んだ時代になってますし、今まで住んできた土地は自分に所縁がある土地だなぁと思うので、そういう土地がどんどん増えていけばそこを繋ぐような形で演劇が出来たらいいなぁって思いはありますね。

ーー25年前は何をしていましたか?

25年前は小学生で、結構熱くて厳しい先生が担任になったんです。ある時、宿題をやりたくなくてぐだぐだぐだぐだ夜を過ごしちゃって、朝になっても全然出来てなくて。言い訳ができるレベルじゃないくらい出来てなかったんで、親に「絶対学校行きたくない!」って言ったんですよ。そうしたらすっごいどやされて、引きずって学校連れてかれて謝罪しながら泣いてましたね(笑)。

ーー(笑)。今になっても時々思い出すくらいの?

思い出せますね。多分、人生初の男泣きをしました(笑)。「申し訳ありませんでした!!」みたいな(笑)。そういう泣き方したことはそれまでなかったと思います。

ーー25年後は何をしていると思いますか?

俳優と演劇をやれてたらいいなぁと思ってますが、いろいろそう簡単じゃないなぁとも思うんで、もしそれでも演劇を続けられていたら、お仕事もらってやるのとはまた違うところで、劇場を飛び出すような企画をやっていきたいなぁっていう思いはありますね。

--それは野外公演ですか? それとも劇場以外の建物で上演するという意味ですか?

数年前まで訪問演劇団みたいなの(ゆかいピエロ団)を創ってやってたんですね。それは十数年続いたんですけど、ちょっとお休みしちゃったんで、その延長でやりたいなぁっていうのはずっとあって。劇場に来られない人とかあまり足を向けない人たちの方に、こっちから出かけて行って演劇をやってみたいですね。

ーーそう思うきっかけは何かあったんですか?

子どもの頃に、同じクラスにいわゆる障害をもった子と言われる子がいて、なんだかんだその子たちと何かやってるのが好きだったんですよ。そういうのが積み重なったんですかね。学生時代の友だちで盲学校の先生になった子もいて、「じゃあ盲学校行って演劇やるよ」っていうこともしてました。

ーー演劇以外でひとつ好きなものをあげるなら何ですか?

演劇に全く関係ないことで言うと読書です。子どもの頃は学校の図書室とか全く行かない子だったんですけど、いつからか読書が好きになって名作とか名著と呼ばれるような作品を見つけてきては何ヶ月かかけて読んでます。

ーー好きな作家や好きなジャンルはありますか?

時期によって移っていくから特にこの人ってずっとあるわけじゃないんです。次の舞台でどういう作品に関わるかがわかると、それが刺激になって本を探してみたりするので、社会科学系・人文科学系の書籍も読みますし、哲学書みたいなのも読みますし。最近だと、石牟礼道子さんの「苦界浄土」三部作をこの(福島三部作の)稽古に入る前に読み終わって「よっしゃ!」と思ってました(笑)。

ーー東日本大震災で一番記憶に残っていることを教えてください。

その日は東京でお芝居の稽古をしていて、廃校を利用した稽古場の3階の一番隅の部屋にいました。そうしたらすごい揺れが来て一回外に避難した方がいいってなったんですけど、廊下といい階段といい、舟みたいに波打ってて。そこから何日か家にいて、原発が爆発したこととかはやっぱり衝撃でした。これはとんでもないことになるんじゃないかっていう気がして、パニックになったらどうしようってそれが一番怖かったですね。当時は連日のようにひどい状況の映像とかTVで流れていて、見るしかないんですけど、見ては泣いてましたね。ぽろぽろぽろぽろ。

ーー福島三部作へのオファーがあった時にどう感じましたか?

もちろん!(笑)出ることに迷いはなかったです。第一部を観て、二部・三部はどんな話になっていくんだろうなぁっていうのが全くわからないまま「どう?」って誘われて。もちろんワクワク感もありましたし、こっちもちゃんと覚悟決めていかないと怒涛の稽古、怒涛の台本だったりした時に、腹の決まらないまま言われたことだけやってるみたいになるのは違うよなぁって思いましたね。

椎名一浩インタビュー

ーー故郷の思い出を教えてください。

故郷ってどこを指すんでしょうね。僕はフィリピンで生まれて三年くらいですぐ引っ越したんですけど、幼い頃の思い出は鮮明に残っていて、フィリピンもそうだし千葉にいたこともあるし、幼少期は川崎で過ごしていてそれぞれの土地に思い出があります。

ーーもう少し歳をとったら帰りたいと思う場所は?

やっぱりフィリピンかなぁ。時間の流れがすごくゆっくりだし、かと思ったら活気付いてるところもあって……。勝手なイメージですけど川崎と似てるのかな。ごちゃっと感が。だから故郷の記憶っていうのが混在してて、元気だったりうるさかったり、でも穏やかな時間も同時に流れてるっていうのが、フィリピンと川崎で重なる部分がありますね。
フィリピンは裏道行くとスラムじゃないけど、どこか寂れた感じで、そこを探検してみたり。川崎も20年くらい前だと今より汚くて、路上生活してる人もたくさんいましたけど、嫌な感じではなくて人に危害を加える人もいなかったから、人の生活がある場所だなって感じでした。色んな人が混ざってる環境で育ちましたね。

ーー25年後は何をしていると思いますか?

これ、文字に起こした時にニュアンスが伝わるかわからないですけど、多分、生活してると思います。この「生活」っていうのが僕の中では文字通りじゃなくて……考えながら生きてるって感じなんですよね。

ーーどういうイメージですか?

僕の「生活」のイメージは、ただご飯食べて仕事してっていうことじゃなくて、人とか社会と関わることだと思ってます。そういう意味での生活レベルが25年後には深くなってる気がするんですよ。演劇を始めて10年くらいになりますが、演劇を始めてから生活範囲とか気づける範囲が広がってる気がして、25年後にはもっと広がってるんじゃないか、演劇をやってなかったとしても何かしらのその時納得できる形に移して、生きているのではないかなと思いますね。

ーー演劇を始めてどうして広がったんでしょうね?

芝居の起源って、自分の考えでは絶対に「生活に根付いたもの」だと思ってます。歌舞伎とかシェイクスピアって位の高い人の生活を描いてて、その人たちの苦悩はその人たちにしかわからない。でも、それこそDULL-COLORED POPの『くろねこちゃんとベージュねこちゃん』みたいに家庭内のドラマが描かれてるものもあるし、絶対どこに行っても考えられうる。生活がないとドラマは生まれないと思ってて。芝居をしてると自分が経験してない古今東西の人々の生活を知ることができるから、広がっていくんじゃないかなと思いますね。

ーー演劇以外でひとつ好きなものをあげるなら何ですか?

料理です。お弁当、よく作りますね(笑)。よく「趣味は?」って聞かれますけどパッと出なくて、読書とか映画とか見るけど趣味っていうほどではなくて、過去を振り返った時に一番最初に手をつけたのって料理なんです。まず食べるのが好きなんですよ。それこそ生活に根付いたものだし、ご飯食べないと生きていけない。人がご飯食べてるのを見てるのも好きです。僕は長男なんですけど、うちの家族も結構おいしそうに食べてくれるから「お兄ちゃんのアレ食べたい」とか言われると、求められてる感というか「僕の作ったご飯でがんばれる」みたいのは嬉しいです。ご飯がおいしいと頑張れますよね。

ーーちなみに得意料理は何ですか?

一番得意なのは親子丼かな。簡単だしすぐ出来るしそこそこのクオリティを提供できる(笑)。栄養もあるし。僕、考え過ぎるところがあって、でもご飯作ってる時って「おいしいものを作る!」っていう目的一つじゃないですか。
おいしいものを作りたいし、おいしいものを食べたいし、すごく無心になれるんですよ。そこも料理の好きなところですね。無心になれるっていう意味では裁縫とか編み物も好きですね。ただきれいに縫うことだけを考えればいいから。ちゃんと形になるし、うまく出来ると自己肯定もできるし(笑)。

ーーでは最後に、東日本大震災で一番記憶に残っていることを教えてください。

高校を卒業した年で春休みを満喫してアルバイトとかしてた時期でした。地震が起きた当日は、自転車漕いでたらいきなり電線がファァッと揺れて、周りの家の人とかバッと出てきて。家が近かったんで帰ったら母親も弟もいて、テレビのニュースでどうやら大きい地震らしいって知って。居酒屋のバイトが入ってたんですけど休ませてもらいました。
一番しんどかったのは、計画停電だったんですよね。時間はちゃんとお知らせしてもらってましたけど、寒かったから。うちは灯油ストーブだったんですけどエアコンも効かないし、母親は自家製のアルコールランプを使って、みんなで毛布をかぶって停電が終わるのをじっと待ってました。その時コンビニでバイトしてたんですけど、計画停電の真っ暗な中で懐中電灯で照らしながら品出し作業をするっていう奇妙な経験もしました。

木下祐子インタビュー

ーー故郷についての思い出を聞かせてください。

私は故郷がないんですよ。生まれは九州の小倉なんですけど、幼稚園までしか居なくて。その後も和歌山へ移って次は千葉県の佐倉市で次は幕張でその後も自分で転々としてるんです。父親が転勤族だったので一つ所に2、3年しか居なくて、友達もその度に変わるような環境でした。

ですから故郷と呼ぶとすれば、父方母方其々の祖父母が住む土地となりますかね。父方は名古屋で私が物心が着くころには先進的な夜の町も遊べるような故郷。母方は岐阜の山の中で大きな川の流れているとても牧歌的な故郷でした。

私の精神がそこに根ざしているわけではないので将来住みたい!というのは残念ながら無いです。だから「自分の故郷はここだ」と言える友達を見てると、うらやましくなりますね。「小さい頃からコイツとは縁があってさ」とか「小さい時に一緒にこんなイタズラしたね」とか言い合う友人が居ないので、それは少し寂しいなぁとは思いますね。

ーー25年前は何をしていたか覚えていますか?

じつは北海道にいたんですよね。学校を一年休学して、帯広の牧場で住み込みのアルバイトをしてました。ゴールデンウィークから10月までお世話になって、その後、北海道をぐるーっと一周して実家の千葉に帰ってきたものの、またそこから今度は西表島に2ヶ月ほどアルバイトに行っちゃったんですよね(笑)。で、西表で友達になった人たちと北海道へ行ったら、案の定全員風邪ひいて、それで千葉に帰ってきたみたいな良くわからないことしてました(笑)。

ーー引っ越しが多かったから土地が変わることには抵抗がないんですかね?

そうですね。何かあったら土地を変えればいいって考えが私にはあったみたいですね。周辺が変われば、嫌なことからも脱却できると思ってたので、心がもがいていたり苛められたりしても「環境を変えればいいんだ」って思って精神を保ってたのかも知れませんね。

ーー演劇以外で何か一つ好きな物を挙げるとすると?

うーん、ぱっと思い浮かばないんですけど。……演劇って一般人にはなじみがないでしょ、実家に帰ったりすると「あの子は定職にも着かないで」とかって言われがちじゃないですか。「結婚もしなくて何やってたの?」とか。そこで「演劇やってたんです」っていうと、「……演劇ってなぁに?」ってなっちゃうので。何かわかりやすい、肩書きが欲しいなと思って、考えたあげく着付けの免状を取ったんです。着物は見るのも着るのも好きだったので。

演劇とか芸術とかに社会的価値を見出してくれない人を相手にした時に、イメージがわかる仕事であり、社会的な名札がついて、って何かなあと思って行きついたところが「着付けの免状を取ること」だったんですよ。師範だと看板もらえるし(笑)。まあでも簡単に免許と言ってもそれなりにお金も時間もかかる訳だから、やっぱりのめり込めるくらい好きなことじゃないと続かないとも思ったんですよね。

だから演劇以外だと着物かな。ゆくゆくは若い子達に着物の良さを伝えたり、ちょっとした教室なんかも出来たらいいなと思っています。

ーー2011年の東日本大震災について何が一番記憶に残ってますか?

「恐怖」ですね。「あっ、死ぬかも知れない」って初めて思った恐怖です。普段人間って周りの人が亡くなっても、理屈として「人は死ぬんだな」とは感じるし考えるけれど、「あっ、いま私死ぬかも知れない」とは思わないじゃないですか。それがあの時は、凄く切迫感を持って「今そこにある危機」とか「自分の死」とかを感じたんですよね。

福一が水素爆発を起こした時、窓閉めきって、換気扇も動かすか動かさないかって、そんなことまで皆で怯えていた事とか。そういう時に遠くにいる実家の父や母とどうやって落ち合おうとか。実際に避難しなければいけなくなったら「皆三々五々でいいから大阪の親戚の家な。」って電話で話して決めましたからね。「避難場所を家族で決める」なんてことも初めてでしたしね。そういう「そこにある危機」や「恐怖」を感じたことが、一番の記憶かな。

藤川修二インタビュー

ーー故郷の思い出を教えてください。

私は岡山の玉野市という小さな港町の出身で、玉野市というのは三井造船が地場産業で造船の町なんですね。それで小学校の時はいわゆるバス通りが三井造船へ通う人の自転車でいっぱいになっちゃうんです。その道路を渡ることができないくらいに通勤の人たちでいっぱいになる、その思い出が強烈ですね。

あとは、瀬戸内海に面した海と山に挟まれた町なので、裏山で基地を作ったり隠れ家を作ったりして遊んだことが忘れられない思い出です。

ーー東京にいらしたのは?

東京に来たのは演劇をやるためで、関西の大学を出て京都の「くるみ座」という劇団の「毛利菊枝演劇研究所」に二年間いて、その後東京の劇団に入るために東京に来たんです。


ーー子どもの頃に演劇の思い出があったわけではないのですね。

それはもう全然ないです。大学卒業して就職を迫られて初めて、サラリーマンにだけはなりたくない、自分の力を試したいと思ったんです。会社の中でネクタイを締めて過ごすというのは、ちょっと僕の頭の中では考えられなかった。とにかく自分の力を試したいという気持ちが強くて演劇の世界に入りました。

ーー第二部は第一部から25年後の設定ですが、25年前は何をしていましたか?

25年前というと46歳で、その頃は朗読というかテープの吹き込みをしていました。岡本綺堂の「半七捕物帳」という作品を何巻も録って、江東区の図書館に置かれたりしました。それから、自分と同年代の人間が主宰している「演劇舎猫の事務所」という劇団がありまして、渋谷ジァンジァンでずっと公演をやっていたので何年間か続けて出ていた頃ですね。本当に怖いもの知らずでやっていたなぁと思います。

その9年後に「青年団」という劇団に入って、そこでいま所属している「青☆組」の主宰者である吉田小夏さんと同期になりました。彼女は演出として、僕は俳優として。そこからいまに繋がって、演劇人として一緒にやっている現在です。

ーー吉田小夏さんと谷さんは全然違いますか?

谷さんの演出は割に自分で身振り手振りで示すところがありますが、吉田小夏さんは口だけですね。ジェスチャーとか動いたりして指示することはまず無いです。
青☆組の芝居のアフタートークに谷さんはよく来られて、青☆組の芝居も僕の芝居も随分観てくださってます。だから青☆組とダルカラさんは作者同士も繋がりがあるし、青☆組の役者も客演したり、付き合いがあるんです。私が福島三部作へのオファーを受けた時には、吉田小夏さんから「劇団としての付き合いだから」というようなことを言われたので(笑)、受けざるを得ないところがね、ありましたけどね(笑)。

ーー第三部の舞台となる東日本大震災で一番記憶に残っていることは何ですか。

その時は図書館にいて揺れが来て、家に帰れなくなったんです。それで図書館の人にどこか泊まるところありますかと聞いたら、近くの小学校で帰宅困難者を受け入れる準備をしているからそこに行かれたらどうですかと教えてくれました。行ってみると対応がすごくスムーズで、おにぎりが二つ出たり寒くないように寝具を提供してくださったり、本当に有り難かったなぁと思います。

私にとっては家に帰れないくらいの地震や事故は初めてだったので、携帯も繋がらないし、驚きと怖さがあった反面、寝るところがあって食べ物も提供されてという有り難さを身に沁みて感じましたね。

ーー最後に、演劇以外でひとつ好きなものをあげるとしたら何でしょうか?

70代に入りますと色んなことを思い出すのですが、それがひとつの楽しみでもあり好きなことでもあるというか。私の小さい頃は地元に三井造船の船員さんが泊まれるような部屋がいくつかあって、その後船員さんが来なくなって一般の人がそこに居住するために引っ越して来られて、その方たちに随分お世話になった記憶があります。タカウエのおばちゃんとかハルヤマのおばちゃんとかね。

私は話せば複雑な家庭でして、母親が肺結核で入院していて父親も自分の故郷の尼崎で働いていて、両親ともに家にいない環境でおばあちゃんに育てられました。ある時幼稚園で運動会があって、親子で一緒に走る競技があったんですが親がいないからとタカウエのおばちゃんが心配してくださって、「じゃあ私が一緒に走ってあげる」と。それは本当に有り難かったなぁと思い出します。

ハルヤマのおばちゃんはひとりで住んでらして、私が中学一年になった時に万年筆をプレゼントしてくれました。その思い出も忘れちゃいけないな、頑張って生きなくちゃいけないなと思わせてくれますね。

こういったふと思い出すことが多々あって、それが自分の楽しみでもあり、そういう思い出があることが自分にとっての宝だなぁと思います。

岸田研二インタビュー

ーー故郷の思い出はありますか?

はい。僕は静岡市出身で、城内小学校、城内中学校と呼ばれる駿府城の中にある小中学校へ通ってました。ですから、その城下町と一緒に生きた感じがしてますね。

ーーいつかまた、その城下町で暮らしたいと思われますか?

いや無いですね。でも、こちらへ出てきてからSPAC(静岡県舞台芸術センター)が出来たりして……。じゃ、出てこなくても良かったんじゃないかと(笑)。まぁ、今は静岡に戻ることは想定していないですけどね。

ーー演劇はやっぱり続けてるイメージなんですね。

そうですね。でも、毎回これが最後かなとか思う時もあるんですけど(笑)。ただ、魂を揺さぶられるような辛さや苦悩を、実際に身体を危険に晒さずに味わえるという事はとても幸せな事なんじゃないかなと思い直すとまた体験したくなるんですよね。ある種の脳内麻薬的なものが出るんでしょうね。何度でも味わいたくなるということは。

ーー25年前はどうしていましたか?

ちょうど東京に出てきた頃ですね。自由劇場っていうところに入ったぐらいです。自由劇場は入った年に解散しちゃうんですけど(笑)。そんな経験をしていたのが20か21歳くらいですね。

ーーでは逆に、25年後はどうしていると思いますか?

60歳くらいですね。どうなってるんでしょう。まぁでも、演劇なり映画なりで面白い人達と生きてたいなぁと思いますけどね。

ーー演劇以外で好きな物を何か一つ挙げるとしたらなんでしょうか?

バンドをやってまして、バンドでデビューした時期もあるんですけど、数十年ぶりにギターを持って、友達とレコーディングとかしてるんですね。音楽も創っている時は辛くて大変ですけど練習してたりスタジオで合わせて演奏してると楽しいんです。
演出家がいて作家がいてっていう演劇とは違って、全部自分たちでやらなきゃいけないので、自分がやる気にならないと更地ですよね(笑)。荒野に一人立たされていて、やっても良いし、やらなくても良いという。ある意味、自由な分だけ大変でもあるんですよね。演劇も大変ですけど、ライブなので客席からの跳ね返りがあるじゃないですか。それって幸せな事でもあるんですよ。

ーー荒野に立たされてるような辛さがあるとおっしゃいましたけど楽しいんですよね?

楽しいんですよ。演劇は、出来たり出来なかったりっていうのが、集団で創り上げて行くものなので、その分難しいです。それに、作家さんや演出家さんの意図も汲んでやるので、その分苦しいですけどその分上手く行った時の喜びも大きいんですよ。  

 

ーーでは最後の質問ですが、2011年の東日本大震災の時はどこで何をなさってましたか?

ちょうどあの時は東京のTPT(シアタープロジェクト東京)というところの、近くの稽古場にいました。皆で被災して、私は当時東京の世田谷に住んでいたんですね。で、もう少し冷静になれば良いんですけど、ああいう時に限って自宅に帰ろうとするんですよね。こんな機会だからと思って、東京の森下から皇居を通って国道246号線を抜けてというコースで、6時間くらいかけて帰ったんです。それが、映画で見るような大渋滞と人の波と不安と、そんな色々なものが渦巻いていて。一瞬にして日常生活とか風景って変わってしまうんだなぁと。そうして感じる恐ろしさと自分のやってる演劇というものとがないまぜになって、こんな時に演劇をやっていて良いのだろうかと思い悩んでいましたね。結局その舞台はやりましたけど、自分たちがやっていることが心許なく、不安になっちゃたのをすごく覚えてますね。

百花亜希インタビュー

ーー故郷の思い出を教えてください。

神戸とゆうと海を連想する方が多いと思うんだけんちょ。おらの住んでたとこは坂道がある山の方で、小学校には動物がたくさんいて、夏は暑いし、毛虫がよく歩いでて、冬は雪が積もって、1人用のかまくら作ったりしてました。確か、新開地駅にみたらし団子屋さんがあって美味しかった記憶がある。

ーーいつか故郷に帰るつもりはありますか?

今住んでる東京が嫌いってわけじゃあねぇけんちょ、やっぱりおらぁ神戸に帰ると安心するし、老後は神戸かお金持ちになってたらハワイに住みたいです。

ーー25年前は何をしていましたか?

パッと思い浮かぶのがあんまりお気楽極楽ではねぇ、多感な時期なので、このくらいで。お芝居は全く持って無縁でした。

ーー25年後は何をしていると思いますか?

おらに需要があって、舞台やれてたらいいなぁ〜とゆう願望はあります。何してっかなぁ? 伴侶がいたらいいなぁ。

ーー演劇以外でひとつ好きなものをあげるとしたら何ですか?

なんだろね……。なんか、ちまちま作んのは、おら好きだぁ。
得意じゃねぇけど、好きなもの、でゆうなら、歌唄ったり、作曲したり、踊ったり、創作料理作ったりすんのも好きです。

ーー震災の一番の記憶を教えてください。

去年の先行上演の第一部でも聞かれたような気がすんだけんちょ……。阪神・淡路大震災の時は、こんな関西で大きな地震が起こるなんて、と驚いた。妹が腰を抜かした。東日本大震災は泣いてばかりいた。かみさま不在を思った。

おらだけ、インタビュー形式でなく、質問に文字で答えたもんで、後から短いよ、との声を聞き、加筆します。質問を膨らますのでなく、勝手に書きたいこと書きます。

ダルカラ(DULL-COLORED POP)には猫の手とゆうダルカラを無償で支えてくれてる応援団組織みてぇなもんがあります。このインタビュー、バラシなんかもお手伝い下さった方がいます。
沢山この公演に関わる力を貸して下さった方に感謝が尽きませんが、仕事として発注してるわけでもねぇのに、猫の手であり、ダルカラ劇団員でもある、パンフ作成始め、バラシ、照明の作業等々たくさん力を貸して頂いた西峰正人さんに感謝を書き記しておきてぇ。ほんとにありがとうございます。

さ。インタビューっぽいことも加筆しとかねぇとですかね。

人間とはなんでしょう。おらには、人間がどうゆう生きものであるか、一言でゆうにはむつかしい。同じ生きものでも色々過ぎて。
話を進め過ぎると長くなり過ぎるので、もういっちょ別の角度から。
愛とはなんでしょう。おらは『愛』とゆう言葉を使う時にかなり抵抗があります。割と気軽に「愛してるよー」と使えてしまえるひとたちをみて、すごいなぁと思います。捉え方の違いがあるのか、おらが神経質過ぎんのか、わかんねぇけんちょ。おらにとって、愛はとても重く深く大きくとてもじゃねぇけど、気軽に口にすることにとてつもない抵抗がある。だけんちょ、言いたくねぇとか使いたくねぇわけではねぇんです。ただただ、おらにとってはとても大切なワードである。ってだけです。そして、おらにとって愛は、『気づけば』だったり、サンボじゃねぇけんちょ『世界はそれを愛と呼ぶんだぜ』と、後から『嗚呼、おら、愛してるんだなぁ……。これ愛かぁぁ。』としみじみ気付くようなものだなぁとおらは思います。

出演する第二部でも、様々な登場人物が様々に生きています。おらは、おら以外のひとたちを見聞きしたり、なにかを感じながら、幸せだったり、幸せ過ぎて怖かったり、希望、絶望、いろいろを感じます。それでもそんな人間が愛しいなぁとも。

第二部観てくれる貴方にはどのように映るでしょうか。
第二部、お楽しみに☆
(おらは第一部も出演します)

宮地洸成インタビュー

ーー故郷の思い出を教えてください。

生まれは葛飾。それからずっと実家の亀戸で暮らしています。所謂江戸っ子ですかね。最近になって自分の地元に愛着を覚えるようになってきました。第一部『1961年:夜に昇る太陽』では故郷を離れて東京を目指す若者を中心としたお話なので、故郷が重要なファクターになっているんですけど、自分はずっと東京にいてまだ実家暮らしって事もあって故郷っていうものに実感がなく、苦労したんです。その時、故郷や地元に愛着がなかったわけではなかったのですが、外に出ないから気づけていなかったんですね。

気づくきっかけとなったのは、先日、家の近くでやっていたあるお芝居を観に行って物足りなさを感じたときです。廃工場を劇場に再利用している半野外のステージだったので否が応でも周りの景色が目に入るし、そこから思い出される記憶、物語、歴史がとても大きかった。しかしそのお芝居は景色や劇場の特徴を物語の設定として借りているだけで、場所が持つ物語とは結びつかないように感じたのです。場所の歴史をそのまま芝居にするのがいいんだ、みたいな狭量なことを言いたいわけではありません。工夫の方法はいくらでもあるでしょうから。誰かのほうがよく知ってる場所や思い入れのある事柄について、外からやってきた人間が演劇を創ることの難しさですね。ま、その物足りなさのおかげで、逆に地元への愛着に気づけたわけなんですが……。

今回『福島三部作』って名前をつけて……さらにはそれを福島のいわきに持って行って演るわけです。いくら勉強したところで地元の人に敵うわけない。それは知識だけでなく、そこで過ごしたことの実感や記憶があるからです。それを承知した上で勿論、福島に寄り添う。知ろう。勉強する。のは当然としてもその上で東京の人間である自分だから出来ること。東京と福島を繋ぐ何かをもってこの芝居にのぞまなきゃいけないと思っています。

ーー25年後は何をしていると思いますか?

自分のことより日本の未来が気になるかな(笑)。生活に直結してるし……。
自分の年齢の倍以上先の事となると具体的にどうこうというイメージは難しいのですが、お芝居については……何らかの形で関わってると思います。観る側なのかもしれないとしても……。勿論、演れてればいいです。1年のうち1ヶ月は家に引きこもってゲームをする時間をとりつつ(笑)残りの11ヶ月はお芝居演っていたいですね。ビジョンなさすぎですか?

ーー演劇以外でひとつ好きなものをあげるなら?

散歩ですかね。どこかに行ったりして人だとか空気や匂いに触れるのも楽しいんですけど、家の周辺をただ歩くってことが好きですね。室内にいることが多いのでそれ以外の刺激を受けたい。色んな意味で空気を入れ替える様な気持ちでしょうか。今では地元への愛着を最も感じる時でもあります。

ーー震災の一番の記憶を聞かせてください。

正直に言ってしまうと自分くらいの世代で、しかも東京という被災地から離れた場所に暮らしていてその上実家暮らしで親にも守られているのもあり、震災というものはテレビやインターネットなどのフィルターを通して見たものでした。いちばんの記憶は地震後に流れ続けた某CMかもしれません。なのでリアルタイムで伝え続けられる情報になにか大変なことがとんでもないことが起きてるぞと感じつつも自身の生活ではさほど困ったこともなくて、実感が希薄だった様に思います。

だからこそって言うと変なんですけど、この福島三部作に参加することになってから、浪江まで実際に行って被災地を直に自分の目で見たり、現在進行系で続いている震災、復興従事者の現場、生活の実態を見る機会を得られました。あらためて震災、原発、電気、この国について自分自身に問いかけたり考え直すことも多くなりました。でも知れば知るほど、本当は日本に住んでいるひとみんなが考えなくちゃいけないことではないかと思うようになりました。だから普段は福島や原発に興味を持ってない人も、この作品がいい機会になったらと願いながら参加しております。

福島三部作、是非観に来てください。よろしくお願いします。

DULL-COLORED POP演劇ワークショップ2019MAY

DULL-COLORED POPでは劇団で培ってきた演劇論や知識・技術を広め、次なる新しい俳優たちと出会うため、演劇ワークショップ講座(以下WS)を開催しています。2019年3月に開催され好評を博した東谷英人の俳優向けWSが、内容をブラッシュアップし再登場します。

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谷チーム座談会

──では順番に自己紹介からお願いします。

井上:井上裕朗(いのうえひろお)です。よし子役です。
塚越:塚越健一(つかごしけんいち)です。ゆき男役です。
百花:百花亜希(ももかあき)です。黒猫役です。
大内:大内彩加(おおうちさいか)です。ベージュ猫役です。
春名:春名風花(はるなふうか)です。とも美役です。
宮地:宮地洸成(みやちひろなり)です。けん太役です。
深沢:深沢未来(ふかざわみく)です。まち子役です。
東谷:東谷英人(あずまやえいと)です。高梨役です。

──塚越さんと百花さんは初演・再演と同じ役ですが、他の方は自分が今回の役を割り当てられてどうでしたか?

井上:よし子は、ずいぶん前に谷さんとこの役について話をしたことがあったので、そんなに意外でもなかったかなぁ。今回よりは、去年やった『1961年:夜に昇る太陽』での3歳の方が意外でした(笑)。
一同:確かにね、確かに(笑)。
井上:あと(『1961年:夜に昇る太陽』では)お兄ちゃんだった宮地が、息子になるという(笑)。あまりにも衝撃過ぎてどうしたもんかなっていうね(笑)。

──私は、けん太は宮地さんに凄く合っている気がします。

宮地:うん。
井上:「うん」ってなにそれ(笑)。
宮地:いや、僕にとっても意外性はなかったです。若いし、なんか演劇目指している感じだし、大学辞めようとしてるし。いや、僕は大学辞めないですけどね(笑)。ちょっとシンパシーあるなぁって感じで。僕は実際には次男なんで長男の感じは分からないですけど、妹のいる感じとかはなんとなく分かるんです。
春名:自分は長女で弟がいる立場なので、逆なんですね。ただ4年前谷さんが演出した『TUSK TUSK』という作品に出た時も、お兄ちゃんがいる役だったので、色々他の人の話とかも混ぜて演じていこうと思っています。実家での母に対する対応は、とも美みたいな感じです。外面というか猫をかぶるのが得意なんで(笑)。
東谷:(猫とかけて)上手いこと言ったなあ(笑)。
大内:私は、この脚本も読んでなかったし観たこともなかったんですけど、ちょうどキャスティングの話を頂いたのが去年の夏の公演をやってるときで。
猫ちゃんを再々演するにあたって、谷さんに「百花にぶつけるならオメエだ。オメエ面白しれぇ筈だろ」って言われて。それで私は何をされるんだろうって思ってたら茶猫だったっていう。私自身は意外でしたね。
深沢:私のキャスティングは、この中では一番最後だったと思うんです、多分。他のキャスティングを聞いたあとで「まち子、やる?」って聞かれて、最初は「まち子かぁ」と思ったんですけど、宮地くんにけん太をやらせたいから年齢層がグッと下がるので、まち子もそれに合わせて年齢を下げたいんだって言われて納得した感じでした。
前回、とも美をやってから3年半経って私の人生観も変わったので、改めて本を読むとまち子の方が今の自分に近いですし、私なりのまち子ができたらいいなと思ってます。(3年半の)再演の時にはとも美だったんですけど、周りの皆さんにたくさん鍛えてもらったこともあって、かなり思い入れのある作品なので、また出られるのは嬉しいですね。

──再々演と聞くと、皆さんのハードルも上がるように感じますが?

東谷:僕は何だか新作の気分ですね。初演と再演はほぼメンバーが一緒だったけど、今回は塚さん(塚越)と百花以外は初めての役なのであんまり関係ないというか、新作だと思います。
塚越:個人的には、3回同じ役をやらせて頂くことって小劇場の作品では、まずないんですよね。初演が2012年、再演が2015年、再々演が2019年とちょうど3年周期くらいで。僕が最初にこの作品に出会ったのが30……、あっ40歳過ぎてるんだ(笑)。今回がそろそろ50歳に手が届こうかって時なわけで、どんどん物語の中で描かれてるゆき男の年齢に近づいているんですね。本を読み返してみると、初演や再演の時にはおぼろげにしか分かって無かった事柄が、凄くリアルに感じてきたりっていう変化があって。だから自分の中ではハードルを上げてるっていうのはありますね。それをこの新しいメンバーでどうやっていくんだろうっていう楽しみはあります。
けど、正直に言うと僕はよし子をやりたいっていうのは、初演の時からずっと言っているんですけど(笑)。
ゆき男を3回演じられるというのも最大限自分の中で楽しみたいし、自分のレベルアップの機会にしたいとは思っています。
井上:今からでもチェンジっていうのはアリなんじゃない? 結構、僕は提案してるんですけどね。
全員:ない、ない(笑)。
井上:塚さんがやりたがってる役なのを知っているし、僕はそんなにやりたくないから……(大爆笑)。
百花:こら! こら! (笑)
東谷:まぁ将来的にね、塚さんがよし子をやれたら良いんじゃない。
全員:ね、ね。
塚越:オーディションの時に代役でよし子をやれたのが、楽しくて楽しくて仕方なかったです。
井上:あれをみて、よし子は塚さんでどう? って提案したの。あんなに楽しそうなんだから、いいよ譲るよって(笑)。
塚越:ほんと、オーディションで一人ではしゃいでました。
百花:確かにね、楽しそうだったものね。私は、まぁまさか3回も同じ役をやるとは思わなかったですね。初演の時は、ダルカラの劇団員として初めて出た公演で、しかも初演も再演も色々な事件が起こって(笑)。良い意味でも、そうでもない意味でも色々思い出深い公演で。
井上:どんなことが起こったの?
百花:ピー(自主規制)が入るようなことがあって(笑)。まぁ再演のときはですね、骨折してたんですね。本番の直前に骨を折って。
一同:(一斉に息を飲む)
百花:そしてギブスをしないまま公演をやり抜いて(笑)。
井上:今回はどんな事件が起きるのか。
百花:いや、だからこそ今回は安全に、何事もなく皆さん無事にっていう、それだけを願ってますね(笑)。

──では最後に、みなさんが思う「幸せって、何かしらねぇ?」を教えていただけますか。

東谷:あなたにとって幸せとは?っていう質問ですか?
百花:幸せって思える気持ちがあることかな。なんか小さなことでも、天気がいいとか、そんなことでも幸せだなって思える気持ちがあれば幸せだと思います。
塚越:誰かに必要とされていることですかね。こんな仕事をやっていると特に感じるんですけど、「この人に演じて貰いたい」とか「この人を観たい」とか「この人と一緒に演じたい」って言ってもらえること。
もちろん仕事だけじゃなくて、私生活でもそうなんですけど。誰かに「パートナーになりたい」とか「一緒にこの先も歩いていきたい」とかって言われること。そんな風に誰かが自分を必要としてくれることが、自分を満たしてくれるんだろうなぁと思います。
東谷:それって誰なの? 具体的な方が面白いっていうかさ(笑)。
塚越:例えばこのダルカラっていう劇団の中でも、ちゃんとお役を頂けることもそうだし。一番最初に客演でダルカラに出たときに谷さんに言ったんです、「お前、いらねぇよ」って言われるまでついて行きますって。押しかけ女房的に言ったんですけど、今もちゃんと参加させて頂けるって幸せだし、谷さんにずっと必要とされる役者で居たいなぁと思ってますね。
春名:存在を認識して貰えることかな。ちょっと塚越さんに近いと思うんですけど、人って誰かと繋がりたい気持ちってあると思っていて。自分のことを認めてあげられることは素晴らしいことだけれども、自分のことを認めるにも他人の目が必要で、多くの人の力を借りて自分のことを認めてあげることができるようになった時に、幸せだなって思うんじゃないかなって感じますね。
お芝居やっているのも、自分が演じる役がとんでもなく悪い奴でどうしよう? ってなった時でも、その悪い奴の中でも良いところというか悪いところの魅力が観せられたら、お客さんの中の千人に一人くらいは同じことで悩んでいる人がいるかも知れないし、お芝居の世界で色んな人間を描いてあげることで、誰かの存在を認めてあげる事ができる。っていうのがこの仕事のいいところかなって思っています。
お客様とか共演者とかスタッフさんだったりとか演出家だったりとか、そういう方達とお互いの存在を認識した瞬間っていうのが、幸せなんじゃないかなって思います。
宮地:難しいですね(笑)。僕は百花さんに近いかも知れないです。これが今幸せだって言えることが幸せっていうか。
僕はまだこれが幸せだって決めたくないんですよね。もちろん幸せになるために人に必要とされたりすることも多分幸せなんですけど。もっとまだまだ色んなところに幸せがあるって、新しい自分が待ってるって思います。
大内:かっけ~。
井上:気持ちわりぃ。
全員:(爆笑)。
東谷:兄弟喧嘩だ。
宮地:いやいや、親子、親子。兄弟は去年の夏だから、新しい関係を受け入れて(笑)。
大内:大内は、好きな物に苦しめられている時が幸せです。幸せって怖いじゃないですか。誰かから受け取る幸せって、受け取り過ぎたら裏切られた時とかにすごい落ち込んじゃったりするし。それよりも自分で生み出す「好き」を一杯貯めて、私ヲタクなんですけど好きなキャラクターグッズとかを延々と集めたり、好きな舞台を全通したりとかしたいんですよね。そうするとお金が無くなっちゃいますよね。すると苦しいじゃないですか。それでも「これ好きなんだぁ」って思いを抱えたいんです。
お芝居やっててもそうなんですけど「今、ハチャメチャこの役、つらい」とかって思いを自分で抱えてる方が、活路を見い出せるんです。「芝居辞めたい、役者辞めたい」って追い詰められた方が、「こう言う風に芝居変えてみたらいいじゃん」とか、相手のセリフをもう一回ちゃんと聞こうとしたり、自分が「好き」に阻まれて苦しまないと活路が見い出せないタイプなので、「好き」に苦しめられた方が自分は幸せです。生きてるって感じがします。
東谷さんはどうですか?
東谷:じゃ、深沢くん(笑)。
深沢:いや、結構難しい質問だなって思うんですけど。私は塚さんが言っていたことも分かるし、百花さんや大内さんの言ってたことも分かるんです。他人が居ないと生まれない幸せと、自分だけで生み出せる幸せの両方があるなと思うんです。
私は両方を感じることが多くて、私も彩加(大内)ちゃんと同じでアニメとかも好きで、自分一人で楽しいなとか幸せだなとか思える瞬間もあるし、でもなんでこの仕事をしているかというと、他人から認めてもらえる幸せもあるからで、自分の生み出した何かをみて「よかったよ」とか「楽しかったよ」って言ってもらえたり見られる笑顔とか、そういう気持ちが自分に落ちてきて初めて得られる幸せもあって。両方あると思うから一つには絞れないですね。
特に私は子供がいるので「ママ、ママ」って呼んで貰える幸せがあるんだなって。だから、よし子と近いものを脚本を読んでいて感じたんですよね。やっぱり誰かにすごく必要とされる事って難しい部分もあって、パートナーがいても終わってしまう事もあるし。永遠に持っていられるものじゃなくて、幸せって儚いものだなと思いますよね。
井上:ちょっと、全然違うんですけど。俺は、旅行してる時なんですよね。ルーツは遊牧民だったのかな? って思うほどちょっと一箇所に留まれないというか。時間やお金が続けば、一生そういう暮らしでもいいなって思うほどで。最近、なかなか遠くまでは行けないけど、近場でも普段行かないところへ行かないとおかしくなっちゃうんですよね。
東谷:最近幸せだったのって何かな?と考えると、M-1を観てる時ですね(笑)。M-1って凄いんですよ。凄く入れ込みすぎて上手く行かないコンビとか、欲が出すぎてお客が引いちゃったりとか、そういうドラマというか生の感じって言うのが凄いあって。
お笑い自体が好きなんですけど、そのお笑いの最高峰の漫才が見れるのがM-1でショーとしても凄いんですけど、自分はドキュメンタリー的な見方をしていて、なんか本当にみんな闘っていて何千組の中から8組だけがTVに出れるっていう、一年に一回のお祭りっていうのを生放送でやってる。最近はお祭り的な面が強調されすぎてて、それがあまり好きじゃないんですけど。でも、その漫才をやるってことに人生をかけていて、勝ち抜いて来て、結果が出るのはひと組だけで、それを観てるのが凄く刺激を貰えてて。
結局、お芝居を舞台の上に立って人に観てもらうっていう仕事も、それに近い経験があると思うんですよ。なんか千秋楽だからってすっごい頑張ろうとか、初日だから凄い緊張しちゃったとか、色んな経験を出演者はしてると思うんだけど、それって人間だからこそじゃないですか。本当にスーパーマンなんて居なくて、天才も居ないと僕は思ってて。その生の感じを曝け出すっていう仕事だと思うから、そこで戦ってる。それを全国の皆さんにお届けできるのがM-1で、出たいとは思わないんですけど、これからもずっと見てたいなって思います。
とにかく、舞台に立つっていうことは生であるってことで、そこをカッコつけたり取り繕ったりしないでやり続けたいですよね。だから、質問の答えとしてはM-1なんですよ。わかりやすく言うとね(笑)。

──今日は有難うございました。

一同:有難うございました。

井上チーム座談会

──順番に自己紹介をお願いします。

斉藤:斉藤直樹(さいとうなおき)です。ゆき男役です。
清水:清水直子(しみずなおこ)です。よし子役です。
結城:結城洋平(ゆうきようへい)です。黒猫役です。
瑞帆:瑞帆(みづほ)です。茶猫です。
橋本:橋本ゆりか(はしもとゆりか)です。とも美役です。
渡邊:渡邊りょう(わたなべりょう)です。けん太役です。
野村:野村由貴(のむらゆうき)です。まち子役です。
(※細井準さんは欠席)

──もう稽古が始まっているようですが何回目くらいですか?

瑞帆:8回やりました。

──(井上)裕朗さんの演出はいかがですか。

清水:楽しいです。
一同:うん。
清水:普段なかなか無いんですけど、一番最初にそれぞれの他の役に関しても色々ディスカッションして、役に対して想像力を膨らませて立ち稽古に備えて準備してっていうのが、すごく役立ってます。
瑞帆:最初の三日間くらいはずっとディスカッションをして、稽古の前後にも猫会議やったり家族会議やったり。

──そういうやり方って珍しいんですか?

一同:珍しいです。
斉藤:珍しいというか、彼らしいなというか。時間かけて色んな要素を出して用意してから、みんなで立ち上がろうっていう彼の意図だと思います。用意周到な感じがしますね。

──ディスカッションというのは例えばどういうことを話すんですか?

結城:時系列でこの時までにこういう事件が起きて、ということを裕朗さんがリストアップしてくれていて、この事件が起きるということはそれまでにこういう物語があったよね。ということを全体で共有してやるので、安心して立ち稽古できるというところが裕朗演出なのかなと。
斉藤:家で年表を作ってきてくれて。何年に知り合って結婚していつ子供が生まれて、みたいなことを一年ごとにみんなで想像で話して。
渡邊:もちろん家族だけじゃなくてお手伝いの高梨さんのこととかも話したりしましたね。
橋本:そういうことを考えて話して何の役に立つかわからないけど、きっと何かの役に立つはずだっていうコンセプトで。

──その時間が皆さんにとって大事だったんですね。

瑞帆:土台がそこで出来たから、立ち稽古に入って少々ずれかけても土台をみんなで共通で持っているので、誰か一人外れたりっていうのは全然ないし、作っていきやすいです、目的に向かって。
清水:目的がはっきりしてるから立ち上がりやすいというか。あとは、雑談から始まる普通の会話のエチュードからやって、そこから台詞に入っていって、ちゃんと相手と交流したところから場面に入っていくみたいなこともやって。
普段のほかの現場ではなかなか無いのですごく楽しいし、役に立ってます。読み合わせの日とかすごく緊張したんですけど、そういう交流から始まったので時間が経つにつれてリラックスできるし、楽しくなりましたね。

──この作品に対しては、どのような印象を持たれていますか?

清水:私ばっかり喋っていいですか?
一同:いいですよ(笑)。
清水:よし子さんが、うちの父にすごく似ていて。出方は違うところがあったとしても、自分の家族を思わずにはいられなくて。辛辣な部分もあるけど、観た人も必ず誰かに感情移入できる作品だなぁと思います。
斉藤:お父さんをやってと言われて最初は「お父さんねぇ……」と思ったんだけど、まぁ、猫もいるしね(笑)。60歳くらいの設定なんだけど、関係性が出来ればいけるかなと。
この作品をやりながら自分の家のことを考えたり、みんなの家はそうなんだとか、それぞれの家族によって違うんだなと思うと、こういう家族がいてもおかしくないよなと思ったりするし。

──猫はよし子さんの台詞を言ったりする場面もありますが、その辺りの難しさなどはありますか?

結城:最初に戯曲を読んだときに、母もやるってなるとすごく重荷というか、できないなと思ったんですね。でもやっていくうちに、よし子さんの分身としてやるというか、最初のディスカッションで共有できているので割とすっと入れるというか。
よし子がそのまま喋ってると思うとやりやすいですね。稽古場いくと直子さんがもうよし子そのままなので(笑)。おっちょこちょいだしチャーミングなので、やりやすいです。直子さんがよし子でよかったです。

瑞帆:私は以前にこの作品を観たことがあったので、黒猫と茶猫の役割もある程度わかっていたし、実際にやってみたときもそんなに大変さはなかったですね。
あとは演出家からのオーダーとどうすり合わせるかというところなので、重荷みたいなのはなかったのですが、シンクロし過ぎって言われてます(笑)。
結城:よし子さんとね、シンクロし過ぎっていうね。いまの課題ですね。寄り添い過ぎちゃって茶猫(瑞帆)が泣いちゃうっていうのとかね。
瑞帆:本当はこっちがよし子のために強くいなければいけないのに逆転しちゃってて。

──兄妹役のお二人は自分の役についてどう思っていますか?

橋本:私も兄がいて妹ポジションなので、とも美っていうキャラクターは私の性格からそんなに離れていない気がしています。
渡邊:僕は本を読んでて一番実感しやすいのはけん太ですね。レールから外れるみたいなところはまだよくわからないけど、性格とかは腑に落ちる部分が多いです。
橋本:彼は猫かぶってますね(笑)。最近わかってきた。
瑞帆:そうだよね、最近黒い部分が(笑)。
橋本:布かぶせてた部分が見えてきてる。
渡邊:いや、ないとは言えないけど(笑)。出してます、俺?
瑞帆:ゲームとかやってると出てくるよね。
渡邊:だってゲームは勝たないといけないから。
橋本:その執念が怖い(笑)。
渡邊:そんなに勝ちたい方じゃないですけど、ちゃんとやらなきゃと思って。
橋本:そう思って実際にできるのがすごいと思う。でもそこはけん太とは違いますね(笑)。

渡邊:稽古でシアターゲームとかやって、芝居とは離れた部分も利用するみたいなことをやってるんですが、この前、はっしー(橋本)に初めて「りょうちゃん」って呼ばれて。
橋本:人狼やってた時に、瑞帆ちゃんがりょうちゃんって呼んでるから私もつられて。
渡邊:今日も呼んでくれて嬉しかったです(笑)。
清水:私もゲームの時に瑞帆ちゃんのこと呼び捨てしちゃったり。
瑞帆:全然気づかなかった(笑)。

──野村さんは、けん太の奥さん役はいかがですか?

野村:私は部外者の役だからちょっと引いたところで見ないといけないのに、猫チームと一緒で結構シンクロしてしまってて。距離とらなきゃってなってます(笑)。けん太を通して見なきゃいけないのに、直子さんがよし子過ぎて、引力がすごいんです(笑)。
渡邊:舞台に出ていってよし子さん見たら息子になれるから。
清水:エチュードで台本に書かれてない部分をやってみようって色々やったんですけど、本当にそのことでも家族感みたいなのが……(隣の斉藤さんを見て)何笑ってるの?
一同:(笑)

斉藤:初めてのデートっていうシチュエーションで適当に雑談してみましょうってなって、「ヨットに乗りませんか?」みたいな話をしたりとか、そうやって自分で言ったことが頭に残ってるから「そういえば若い頃ヨットに乗ったなぁ」っていうのがうっすら共有できてて。
何でもいいんですけど、そういうこともあったなって。そういうのが重なってきて関係ができてきてるから、改めてよいしょってなんなくても会話ができるんですよね。それが井上君の計算なんだろうね。

──では最後に、チラシにもある「幸せって、何かしらねぇ?」という質問をさせて下さい。

渡邊:深いなぁ……。
結城:この作品をやっていて思うのは、人によって取り方は違うと思うんですけど、普段一緒に暮らしている家族とかに「ありがとう」って直接言えないなかで、この芝居にはそういうことがたくさん含まれていると思っていて、それを今できているのはすごく幸せだなって思います。

瑞帆:私は、自分の中で心の拠り所がちゃんとあることが幸せだと思います。
清水:やりたいことがあるっていうのが幸せだなって思いますね。
斉藤:続く、続いてるってことは幸せかな。きっかけはいっぱいあるけど、何か好きになったりして、それが続いてるってことは幸せだと思いますね。
渡邊:僕は、結局一人じゃないってことかな。一人になったとしても、その時に一人じゃないって思えること。
野村:私は、健康かな。

一同:確かに(笑)。大切。
野村:今日みんな元気で風邪もひいてなくて、いま一緒に話してて。それでいいかなって。
橋本:生きてるだけでまるもうけ、みたいな。現状とか嫌なことでも色んなことを受け入れるってことが幸せなのかな、と思いました。……言えた!
一同:(笑)拍手

──以上になります。ありがとうございました。